神霊狩小説A


(42)  12月26日 水天町・古森家
 
 
 中学校は、冬休みに入った。
 掃除を任されて、太郎と信が朝から庭を動き回っている。
 
 太郎の母親が台所で昼食の準備をしていると、信が入ってきた。
「雪の降ってきたばい。」 よほど寒かったのか、鼻が赤くなっている。
「お茶ばいれるけん、そこい座りんしゃい。」
 お茶を渡すと、父ちゃんから、と蔵の冷蔵庫に入っていた酒粕を渡してきた。
 夜はこれでお鍋にしよう。体が温まるから。
 信は梅こんぶ茶が意外だったのか、一瞬おや、という顔をして、なにも言わずに飲む。
 
 そういえば最初のころは、信がまったく鍋料理に手を出さずにいたので、器に取り分けてあげていたんだっけ。
 遠慮してるのかと心配していたら、「メシは膳で出てきとったけん。ずっと一人で食うとった。」 ―――太郎にそんなことを話しているのを、聞いたことがある。
 大神の家は、古森の親戚に 「あすことは、関わりあいになっちゃでけんばい」 と何度か言われていて、信のことも “複雑な環境にいる” ぐらいしか話を聞いていなかったけれど。
 この子も、ずいぶん特異な生活を強いられてきたんだろう。(それほど頼りになるとも思えない)太郎を頼って、一人でこの家に来たんだっけ。
 『まだ太郎と同じ年なのに。』
 そう思った瞬間のあの感情は、なんだったんだろう。哀れみのようでもあり、怒りや悲しみに似た憤りのようでもあった。
 
 しっかりしているように見えるけれど、この子だって、まだ親の保護下にいるべき年齢だ。
 家族に支えられる安心感や、はがいじめにされるような愛情に甘えたり、時にはそれを鬱陶しいとさえ思うことだって、あっていいはずだ。
 
「……なんね」
「ん?」
「母ちゃんと太郎は、黙って人んこつ見とる時、ろくなこつ考えよらんけん。」
 こんな憎まれ口が言えるようになったのも、大進歩。
「ちょびっとね、爪が伸びとるなーち思ったの。今晩お風呂からあがったら、切っときないね。」
 ごまかしてみると、信は面倒くさそうな顔で手を見る。
「夜までに切りよらんかったら、お母さん、信が寝とる間にこっそり切っちゃるけんね」
「……自分で切るけん。」 ふふふ。
 
 爪と瓜はね、『ツメにツメなし、ウリにツメあり』 ち覚えるとよかよ。
 とりとめのないことを話しながら台所仕事を再開していると 「雪の降ってきたとー。寒かー。」 太郎が耳を赤くして入ってきた。
「お疲れさん。お茶いれるけん、座りない。」 太郎は、信が飲んでいる湯飲みに、ぴと、と手を当ててみて、黙って離す。信も何も言わず、またお茶を飲む。
 以前、信が口をヤケドしてから、太郎は時々信の食べるものの温度をチェックする。太郎がこんなに人の世話をやく子だとは思わなかったけれど。
 とりあえず 『愛情はがいじめ』 は太郎によってクリアされているようだ。
「太郎。明日から信おらんのやけん、一人でもしゃっきりせんとでけんよ。」
「えー僕、いつも一人でやっとるとよ。」
「どこがね。いっつも太郎がくっついてきよるき、受験勉強もできんっちゅうて、信、今ここで泣いとったとよ」
 太郎は本気にしたのか、むっとした顔で 「嘘ばい。信、僕んこつ好いとうばい。」 言って、信を見る。「ん、なんばしよっとね信。お茶ば吹き出すとは、汚かよ。ティッシュ、ティッシュ」
 信は無言でむせたまま、太郎に渡されたティッシュをそのまま丸めて投げつける。
「ちょっとっ! 取ってあげたつに、なんばすっと!」
 
 ああ、やっぱり子犬というのは、一匹より、二匹でじゃれている方が数倍可愛い。
 
*   *  *

 
「洗濯物、乾きおおせんち思ったら、洗わんまま持って帰ってきてよかけんね。」
 一応言ってみると、信は少し考えて、こく、と頷く。久間田にはいつも一泊だけなのであまり着替えも置いてないらしく、今日はいつになく大荷物だ。
 昨日の雪は止まないままで、クリスマスにあげたコートが暖かそうだ。バス停に歩いていく信を、太郎と見送った。
 
 ―――結局は、本当の家に帰っていくとやねぇ。
 
 口の中でぽつり言うと、太郎は意外なことを聞いたように、信の後姿と母親の顔を交互に見る。
「……なんてね。お母さん、ちょっぴりすねてみたとです。」
 冗談めかしてみると、太郎も無理に笑顔を作ってみせる。
 
 信の姿が、どんどん小さくなっていく。曲がり道で顔をこちらに向けたので、太郎と2人で手を振った。
 信はほんの少し足を止め―――そのまま道に消えていった。
 
 
 
「うちだって、家族やけん。」
 太郎がつぶやく。
 それは母親に言っているようにも、帰ってしまった信に言っているようにも聞こえた。




inserted by FC2 system