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匡幸が帰ったあとの台所。
「なんね、中嶋くん、家出してきとったと? そげなん、ちゃんと言うてくれんやったら中嶋くんち心配しとるとに、連絡もでけんかったやなかね」
母親に怒られた。太郎だってそんなこと知らなかったんだから、しょうがない。
「なして、おいまで怒られるとや」
母親に聞こえないように、信が太郎に文句を言ってくる。
「だけん、僕でん知らんやったち言うとるとに。ずっと一緒におったつに、信が知らんで、僕だけ知りようなかやろうもん。」
一瞬にらみあう。
「はいはい、もうよかけん。あんたたち、今から勉強する? そいともお母さんの手伝いばする?」
「お母さん、ほかの選択なかね?」
「なかよー♪」
勉強はないと踏んだのか、ザルに黄色い果物を持ってきた。
「冬至やけん、今夜は柚子湯にするけんね。輪切りにしてちょうだい。柚子湯に入ると 『融通が利く』 ごつなるっちゅうけん、ちょうどよか。」
……どういう意味だろう。
信はおとなしくナイフを持って、黙って柚子を切っている。
さっきからあんまりしゃべらないんだけど、匡幸のこと気にしているんだろうか。
「匡幸、大丈夫かな」 声をかけてみたけど、返事もない。
* * * 「ねぇ、大丈夫かな」
太郎のいつもの独り言だと思っていたら、自分に話しかけていたようだ。
「しらん。そげに心配せんでも、大丈夫やろ。」
ずっと一緒にいたのに、信にだけ分かるわけないだろう。
中途半端に寝たので、さっきから眠くてしょうがない。柚子の匂いが目にしみる。
太郎はそれ以上なにも言わず、信の手をじっと見ている。
また何かたくらんでいる顔だ。
「なぁなぁ信。柚子ん実ば、食べたこつあると?」
「あ? …なか」
「食べてみんね。すごく甘かよ」
……匂いからして、すっぱそうだ。
「こら太郎、こないだ自分でかじって、すっぱいっちゅうとったやなかね」
「あーお母さん、ばらしたらでけんばいー……うわっ」
太郎の胸ぐらをつかんで、鼻の頭に柚子の汁を付けてやった。ぴとぴと。
「わぁ。スースーすっと〜」 太郎は、眉を八の字にして笑っている。
なにが嬉しいんだか。
* * * 「信、元気づけちゃろうち思って言うたつにー」
馬鹿が、と小さく言って、信はまた柚子を切る。
太郎に柚子を塗る時、ちょびっと笑ってたから、落ち込んでるわけじゃなさそうだ。
明日は信とふたり、体からほんのり柚子の匂いがするんだろう。
学校に行くと、匡幸がいつもの調子でからかってくるといいな。
鼻を拭いて、そんなことを思った。
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