神霊狩小説A


(32)  12月×日 水天町・夜

 
 
 部屋に入ると、太郎はドアのすぐ前に正座する。
 信を部屋から出さないつもりなのだろうか。太郎から少し離れた場所に座って、しばらく黙り込んだ。
 
「あん時のナイフ、工事屋のもんが持っとるとよ」
 なにから話せばいいのか分からず、かなり端折った言いかたをしてしまう。
 太郎は信の顔をじっと見て 「…なして」 端折った質問を返す。
 母親に監視がついとって、と説明しようとしたが 「家ん中の話、聞かれとったっちゅうこつね?」 太郎の質問に、言葉を失った。
 そうか、貝原の家の中まで監視されていということか。
 いつからだ。信が母親に会いに行くと分かった時からか、その前からなのか。いつも言葉少なに、考えを口に出さないでいる早苗の横顔を思い出す。
 ずっと監視していたなら、二人の心中を止めることもできたろうに。早苗の死は、あいつらの望むところか。ナイフにしても、もし二人とも死んでいたら、信がその犯人に仕立てあげられていたのかもしれない。
 
 太郎は何を思っているのか、信の顔から視線を外さずにいる。自分と同じことに気がついたのだろうか、表情を読み取るように怯えた目をしている。
「工事屋のこともなんも分からんばってん。おいがあすこ継ぐっち思われとるうちは、心配なかけん…おいが拝霊会におってあいつらの気が済むんやったら、おってやるだけばい。監視したかち言うとやったら、水天町から離れんでおる。たいした話やなか。」
 太郎は膝の上の握りこぶしにぎゅっと力を入れて 「ばってん、そげんやったら拝霊会に戻るとかやなくても……うちにおったらよかよ、お母さんも。目の届くとこにおればよかとやろ。」 訴えるように言う。
「おまえがおいの母親やったら、そげな真似ができっとね」
 太郎のあまりに甘い発言に、怒りを抑え切れない声が出た。
 
 太郎の目にみるみる涙が溜まってきて、まばたきをしたはずみにぽろりと目からこぼれた。後は次から次から涙が溢れ出してくる。
「ばってん、信、かわいそか」
 
 かわいそう、か。
 そんな風に思ったこともなかったのに―――思わないようにしていたのかもしれない。
 太郎はいつも信が隠している感情を拾い上げてくる。
 拾い上げて、自分が代わりに泣くのだ。
「おまえが泣いても、どうにもならんやろうも。」
 ぐしゅぐしゅ言いながら泣いてる太郎にティッシュを渡す。
 ご、ごめん、と太郎が言う。慰めるつもりで言ったのだが、怒られたと思ったらしい。我ながらこういう時に言う言葉が出てこないのがはがゆい。
 ふと、もし最初のきっかけが酒蔵の問題であったと打ち明けたら、と意地悪な想像をした。
 太郎は泣かないだろう、。泣かずに自分で悩んで―――今の自分たちの状況が入れ替わる。
 
 考えてもせん無いことだ。太郎にこんな思いをさせることはできるわけない。
 
 太郎は赤い顔をして鼻をかんでいるが、ぽろぽろと落ちてくる涙は止まらない。
「…高校」
「え?」
「拝霊会に戻っても、高校は行くとこになっとるけん。どうせすぐ修行なんてせんけんね。」
「…そげんね?」
「だけん、前と同じこったい。母親がおる分、前よりマシかもな」
「…そげんね。」
 太郎はティッシュで鼻をつまんだまま、畳を見つめてなにか考えこんだようだが「ふ。僕、すぐ泣くね」 自分にあきれたように言った。
「おいだって、泣くとこくらい、あるけん」
 太郎の目が信を見あげる。
 
 それでも太郎が泣くのは、いつも信や自分以外の人のためだ。
 太郎は自分と違う。常に他人のことを考えている。
 もしかしたら、太郎のほうが自分よりずっと大きくて強い人間なのかもしれない。
 
 『本家の主となるべくして生まれた人間』、か。
 
 太郎の涙を見てるうちに、胸にあったいろいろな固まりが嘘のように消えた。本当に泣いていたのは自分だったのかもしれないと思えてくる。
「…なんね」
 泣き顔を見られていたのが急に恥ずかしくなったのか、太郎がむくれるように言う。
「いや。まさか、お前に怒られるとは思わんかったな。」
 太郎がむっとした顔で、鼻をかんだティッシュを投げてくる。ぽいぽいぽい。
「こら、やめんか」 怒ってみせると、安心したように微笑んだ。
 

*  *  *

 
「太郎、そん顔、どげんしたとね」
 夕食の席で母親に赤くなっている頬を訊かれて、えっと、と考えた太郎が 「信に、つねられたばい」 ――ごまかすかと思ったら、そのまま答えた。
「学校で、信んこつほったらかしにして帰ったら、怒られたったい」
 むちゃくちゃ言っているが、太郎の両親も 「信は過激たいねえ」 と笑って言う。太郎が明るい顔でいるので、なにも訊かないことにしたようだ。
 
 信、すぐ怒るけんね。太郎が両親に文句を言っている。
 自分を大切に思ってくれる人がいること、甘やかされることに、すっかり慣れていた自分がいる。
 
 前よりマシ、どころじゃないな。
 
 そんなことにも気がつかないでいた幸せの中に、もう少し浸っていよう。
 もう少し。もう少しでいいから。
 



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