神霊狩小説A


(27)  11月2×日 久間田

 
 
「ただいま。」
 
 久間田に戻って、店の玄関で声をかけた。 カウンターの後ろにしゃがみこんで掃除をしていたらしい早苗が、意外そうに顔を出す。信が挨拶をして入ってきたのに驚いている様子だ。
「…この間、黙って古森の家に入った時、太郎ん母親にびっくりされたけん」
気まずい感じがして、訊かれる前に説明した。母親が 「え?」 と驚く。
今まで何の挨拶もせずに、他人の家に上がりこんでいたのか、の 『え?』 か。
子供のしつけなんか一切関わってこなかったのだ。なにも言うことはないだろうが、さすがにバツが悪い顔をする。「たいがい太郎と一緒に出入りしとるけん」……なんの言い訳にもならない。
 
 電話が繋がらなかったので、店にいないのかと思って声をかけた、と言うと
「あ、受話器戻すん、忘れとって。なんか用やったとね」 と店の10円電話を見る。
 今日から店を再開することになったので、なにか要るものがないかと電話しただけだが。
 受話器を戻すとベルがなった。早苗が取って ――― 黙って切った。
「なんやったとね。」
「間違い電話。」
 またベルがなる。信が出ると、なにも言わずに切れた。
「なんね、これ」
「新聞、出たけんね。いろいろ言う人、多かよ。仕方なか。」 少し笑みを作って言う。
「みんなすぐ違うことに興味ば移すもんよ、気にせんでよか。」
 
 貝原との心中事件が、周りから好奇の目で見られているのは信も知っている。親子ほど年の離れた男と心中、あげく自分ひとり生き残って …… 近所のスーパーで買い物をしているとき、主婦連中が面白そうに話題にしているのを聞いたことがある。人間社会は、どうしてこうなんだ。
「…おい、中学はもうここから通うけん」
「またそげなこつ言って。あげによくしてもらっておいて、本家に失礼とよ。」
「太郎げ父親は、こげなことで腹ば立てたりせんけん。」
早苗は信を微笑みながら見る。父親を知らない信が、太郎の父親に懐いているのを喜んでいるように見えて、複雑な感情がわいてきた。
 
 いつまでも世話んなれるわけやなかけん、今だけでも甘えさせてもらえばよか。と言われて、顔を見る。
「加畠さん、来たとよ。」 やっぱりか。
「拝霊会、戻るごつなったごたるね。」 母親の表情が読み取れない。親子として生活するようになって二ヶ月がたつが、信には母親がなにを考えているのかわからない時がある。これまで苦労を重ねてきたのだろうが、自分の考えを悟られないようにすることに慣れている人間、という印象がある。
「お母さんは、あんたのしたいようにすればよかち、思うとよ。あんだけ悩んどったんやもん、よくよく考えてのこつやろ。」 信から目をそらして言う。「岩やら土砂やら、どかすんに手間がかかったばってん、そろそろ建て直しに入りますけん、部屋んこつで希望があったら言って下さいって。」
 とりあえず、一緒に戻る気はあるのか。本人に直接訊けばいいことだが、どうも口数の少ない者どうしだと、推測ばかりになってしまう。
 
 
 早苗と話し合ってから帰ると、古森家に着いたのは夜だった。
「…ただいま」
 奥で太郎の声がする。「お母さーん、信、帰ってきたごたるよ。」
 ただいま、か。早苗に驚かれたのを思い出した。今どうしているだろうか。
 それでも店には開店祝いに小さな花カゴが二つ、届いていた。母には母の、あの土地で培ってきた、人とのつながりがあるのだろう。
 
 気がつくと、太郎が廊下からこちらをのぞいている。「なんしとっとね」 帰りが遅かったので、気にかけていたようだ。
「あ。いや。バスに乗り遅れたけん、遅くなったばい。」 とっさに嘘が出る。
「早く手ば洗ってこんね。今日は信の好きなトンカツばい」 太郎の顔を見ると、力が抜けた。
「……そげなんと、言ったことなか」 言いながら靴を脱いで、顔をあげると太郎はもういない。あいつは時々、人の話を聞かないな。
 
 
 他人の家にいるのが一番落ち着くだなんて、おかしな状況だ。
 太郎が立っていた場所を見つめる。
 この家にあとどれ位いられるのだろう、と考えて ――― いつから自分はこんなに欲張りになったのかと、苦々しく思った。
 




inserted by FC2 system