神霊狩小説A


(33)  12月1×日 水天町・古森家の夜猿


 
 
「なんであんたたちは、でけんち言われたこつば、すっとね。」
 今日は朝から太郎の母親に叱られる。ここ数日水天町に雪が降っていたのだが、一晩中ストーブを点けていたのが、ばれた。
 ばってん、寒かったけん…無駄な言い訳をしようとした太郎が 「うちが、すきま風ん入るごたる古か家でなかったら、あんたたち夜中に窒息しとったかもしれんとよっ」 自虐的な文句でさらに叱られる。
 太郎が犬だったら、耳がぺったんこに倒れていただろう。
 
 
「もっとあったとばってん、蔵ん人に貸してしもうたばい。」
 夜、太郎の父親が蔵の物置から湯たんぽを出してくれた。湯たんぽ、と、円柱型の陶器だ。
 なんね、これ? 太郎が茶色い陶器を手にとって眺める。
「おいの親父が使っちょった湯たんぽたい。戦時中は陶器のもんが多かったげな。どっちか、これでもよかね?」
「え、おじいちゃんのね。僕が使っても、よかー?」
 よかー?って… 「こげな汚かもん、嬉しかか」 つい口からでてしまい 「こらー聞こえとるぞ、信。」 ぴたぴた。後頭部を叩かれる。
 蔵から出ると、薄く雪の積もった山々は、月明かりに水墨画のように見える。雪が光を反射するのか、妙に明るい。
 庭の柿の木に、見慣れないものが乗っている。
「あれ。猿かね。」 太郎の父親に声をかけた。こんな近くにいるのは、危なくないんだろうか。
「ああ、冬やけんね、そろそろ食べもんもなくなってきよるけん、このあたりまで来るごつなったとね。去年は屋根ん上に乗っとったこつもあったが。」
「あ、信。よざる、まる……も、おけ。」
「は?」
  言ってる途中から思い切り 『しまった』 という顔をしている太郎を見て 「太郎は、まーた信に怒られようち思ってから。」 父親は困り顔だ。
「?なんね」
「夜に猿ん話題が出たとき、先に唱えよるもんが、言いそびれたほうの幸運ば奪い取れるっちゅう…まあ呪文たいね。」 おろおろと信を見る太郎に代わって、苦笑いで説明する。
「……言いそびれたもんち、おいのこつね」
「いっ言うつもり、なかったばってん、口から出たとよ!」 手をふりながら、太郎がまたも無駄な言い訳をする。
 
 
 寝る前、ストーブを消してから窓を開けた。換気をしろ、と言われたのだが、雪が止んだばかりの空気は、肌が痛いほどに冷たい。いやに清浄な世界にいるような気分になって、しばらく窓の外を眺めていると……ごつん、ごつん、とドアのほうで音がした。
 
「まことー。開けてよー。」 両腕に湯たんぽを抱えた太郎が、ドアを開けようと格闘していたらしい。お湯が入ると、かなりの重さのようだ。
 部屋に入るなり、信に向かって 「…猿。」 だしぬけに言う。
「あ?」
「さる。さる。さるさるさるさるさる……早う、言わんねー 『よざるまるもうけ』 ばい、あっ! わーっ! 僕、また先に言うてしもうたやなかー!!」
「……。」
 信があっけにとられて見つめるので、太郎が 「もーっなんで黙っとるとー」 文句を言う。
「いや。おまえ…一人でよくしゃべるな。」 ふいにシンバルを持った玩具のサルを連想して、畳に視線を落とした。なんがおかしかね、と太郎がにらむ。
「あんまりそげなこつ、言いなんな。冗談でも言霊が働くこつもあるけんね。」 ごまかすつもりで言ってみたが、太郎はいたってマジメだ。
「だけん、信に幸運ば返そうち思ったとよー。信、気にならんとね。僕、小学校んとき親戚ん婆ちゃんに言われて、わあわあ泣いたとに。」
 小学生のころに言われた冗談を、ずっと根に持っていたわけか。
 
 
 だいたい、おまえの幸運ば奪ったところで、おいは幸せにはならんやろうもん… 自分の口からでた言葉の意味が自分で分からず、一瞬間をおいて 「おまえんとこに居候しとるんやけん」 付け加えた。
「そげなもんかなー。」 太郎が湯たんぽにしがみついたまま話しているのに気がついて、窓を閉める。鍵をかけながら、ふと 「太郎ん幸運ち、なんね」 と聞いてみた。
 太郎は、それを信がどのくらい真剣に聞いているのか、探るように背中を見つめて 「そげんねぇ。今日はじいちゃんの湯たんぽば、もらったんが幸運やったかな」 言って、信の分を渡してくる 。布で巻かれたかたまりは、ほかほかに温かだ。
「あ、僕ん幸運と信んと、交換してもよかよ♪」
「そげん小汚なか幸運、いらん。」 予想どおりの返答だったらしい。ひどかねーとやけに嬉しそうに言う。
 
「信はー?」
「あ?」
「信の幸運やち思うこつって、どげなもんね?」
「おいの――――」 思いがけない質問に、まじまじと太郎の顔を見る。太郎も信をまっすぐ見ている。
 なにも答えず目をそらした。なんね隠さんでもよかやろー。太郎が拍子ぬけしたように笑う。
 
 そんなこと、本人に言えるか。



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