神霊狩小説A


(29)  12月×日 水天町・古森家の夕方


 
 
 拝霊会に戻ることを決めた、ということをいつ太郎に言わなければならないのだろう。部屋でぼんやりしていると、父のギターが目に留まった。
ピーン。
 弦を弾く。ずっと弾いていないので、少し低い音がした。
 拝霊会にいた頃は毎日が長くて、ギターを弾いている時だけが自分の時間のような感覚だったが、古森の家にいるとあっという間に1日が終わる。
 一種の逃げの道具だったのだろうか。
「まことー? 入ってよかー?」 ドアが開く。太郎だ。
「なんね」
「今、ギター弾いとらんかったとね? 僕も聴きたか。」
「いや…ちょっと、弦に指が当たっただけったい」
 太郎は部屋の入り口に立ったまま、しばらく信を見て 「でも弾いてみんね」 と言う。
 音がうるさいだろう。久間田でも、近所に遠慮して弾いてない。
「お父さんもお母さんも、出かけとるけん。」 太郎は意外と我を通す。
 
「おい、久しぶりやけん、指ならしからすっとよ。」
「うん?」
「だけん、ちゃんとした曲ば弾かんけん。」
「あ、よかよ。ちゃんと見とるけん。」 いや…やり難いんだが。
 いいやん、どうせ僕しかおらんのやけん。とあっさり言うが、どうして自分ならいい、と思うんだろうか。
 意識しないように弾き始めたが、あまりにじっと見られてるので、かえって指がつっかえてしまう。太郎相手に何を緊張してるんだ。
 思わずチッと舌打ちをしたところで 「ん、ちょっとごめん」 つと立ち上がって、太郎が部屋を出て行った。
「………。」
 ごめん。って、なんだ。
 出て行ったドアをじっと見たままいると、とすとすとす…足音がして太郎が戻ってきた。
 雑誌と受験の参考書を持っている。
「あんまり見られとったら、やりにくかろち思って。僕ここで本読んどるけん、気にせんでよかよ」
 …なら部屋に戻って読めばいいんじゃないか。
「もう弾いてもよかよ」 言われて、太郎を待っていたのに気がついた。
「べつに、待っとったわけや、なか」
 つぶやくように言ってみたが、太郎はじゃあ何をしてたのかとも訊かず 「ふーん」 と言って信をじっと見る。
「…なんね。」
「ん? 弾いてくれんと?」
 あ、そうか…どうも太郎といると調子が狂う。
 指が動くようになったころ 「ブタのさー」 本を読みながら聴いていないふりをしていた太郎が、声をかけてきた。
「豚?」
「ブタが踊っとるCMの曲ば、弾けんとね?」
「……これか?」 CMの曲なんて15秒しかない。言われた曲にアレンジを加えながら、好きなように弾いていく。「わー。おもしろかー。」
 太郎は次々リクエストをしてきては、信の演奏に感心してみせる。すごかね信、すごかね。
 他人の言うままにギターを弾くなんて、考えもしなかった。それでも誰かに聴かせるために弾くのも、そんなに悪くないのかもしれない。がらにもなく思った。
 
 
「ごはんよー」
 太郎の母親の声が聞こえた。あ、呼んどるばい、と太郎が言う。
「……」
「ん?」
「母ちゃん、おったんか」
「お父さんも一緒に帰ってきとったとよ。車ん音、しとったけん。」
「いつね」
「ブタのCMん前」
「……なしてそん時、言わんとね」
「ばってん、言ったら信、弾くん止めとったろ?」
 
*  *  *

 
「信、すぐ怒るばい。」
 食事の間、口をきかなかったので、太郎がしょげた。
「ぬしが、くだらんまねしよるけん」
「まあまあそげん怒らんでも。」 太郎の父親が仲介に入る。
「にしても、結構弾きよるとね信。ミュージシャン目指しとっとね?」
 やっぱり全部聴かれていたようだ。
 音楽で喰ってくつもりやったら、がんばらんとなぁ。プロでも演奏だけで食っていけるとはほんの一握りやけん。プロよか上手いアマチュアなんち、ゴロゴロしとるけんねえ。その世界にいただけあって、笑顔で珍しくシビアな話をする。
「あ、そうだ信、将来拝霊会継ぐっち、ホントね?」
 あまりに唐突だったので、太郎の母親が口にしたことが一瞬理解できなかった。
 太郎と太郎の父親が、驚いたように信を見ている。
「中嶋くんのお母さんが、こん間話しとって…ん?」
 太郎の母親は、その場の空気がおかしいことにようやく気がついたようだ。
 外から嫁いで来た人間と、この親族に生まれた人間とでは、拝霊会に対する思いも違うらしい。
「どげんしたとね?」
「信?」
「ああ。そろそろ建物の建て直しが始まるっち言うとったけん、それが終わったら…戻るばい。」
 え、でも。太郎が意味がわからないという顔で言う。
 
 もともとあっちが自分の家やけん。
 ―――他に言う言葉が見つからなかった。
(続)



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