神霊狩小説A


(30)  12月×日 水天町・朝


 
 
「信さ、本当に戻るとね? 拝霊会」
 学校に向かう途中、太郎が訊きにくそうに言う。
「…ああ」
「んーと、僕、信が拝霊会んこつ、嫌いやち思っとったけん。違ったとね」
 太郎にとっては、その程度のことか。
「ばってん、信、あん時…」
「せからしか。もう、黙らんね」
 太郎は視線を落として、そうか、とつぶやく。
 それから学校まで、一言も話さずに歩いた。
 
 授業が終わって下校時間になっても、いつものように太郎が教室に迎えに来ない。
「今日、太郎遅いじゃん」 匡幸がA組まで見に行ったが、もう誰も残っていなかった。
 古森の家に帰っても、太郎はいない。蔵に行ってみたが、太郎の父親がいるだけだ。「太郎は一緒んなかね?」 ただ首を振って蔵を出ようとすると、後ろから声をかけられる。「信。なんか、おいに言うこつなかね。」 太郎の父親も、気にしていたようだ。
「おいに言えんこつやっても、太郎になら言えるかね。太郎は頼りになるやつか分からんばってんが、信んこつは大事に思っとるとよ。おいも太郎からはなんも聞かんけん、話せば楽にはなるかもしれんとよ。」
 こんなに心配してもらう資格などないのに。自分の娘がなぜ死んだか、もし知ったらこの人はどうするだろう。
 振り返って、正面から向き合う。
「おいは、父親とは違うけん。自分から、死んだりせんばい。」
 太郎の父親の目が悲しかった。心配してくれる人に対してこんなことしか言えない自分もはがゆくて、走って蔵をでた。
 
 匡幸の家にはいないだろう。加畠の仮住まいをしている家に行くと、玄関から男が二人、出てきた。あの時の―――信のナイフを持っていた奴らだ。信に気がついて、後ずさるように道をあけた。
「本家の太郎、来とるやろ」 玄関にいた家の主人が、信を見てぎょっとする。
 太郎の靴を見つけて、返事を待たずに上がりこんだ。
 
 家の奥、祈祷所の真ん中に―――太郎が倒れている。
 
 入口に背中を向け、太郎を見下ろすように立っている加畠が 「本家の血ん中に隠れておらっしゃるもんは……」 小さくつぶやいている。
「太郎になんしたとね!」
 後ろから声をかけると、驚きもせずわずかに顔を向けた。
「なんもしとりません。いきなり来らっしゃったばってん、先客がおりましたけん、ここでしばらく待ってもろとるうちに、寝てしまわれただけんこつ。」
 祈祷所には、かすかに香の匂いが漂っている。祖母が祈祷のときに使っていた、ナス科の植物を原料としたものだ
「太郎に、なんぞ話したとね」
「ああ、信さまの話ばすればよかったとですか。本家に恩ばきせられれば、さぞ居心地もよかごつなるとでしょうなあ。」 加畠が小気味よさげに笑う。
「ざけんな!」 思わず大声で叫ぶと、太郎がぴくりと動いた。
「太郎!起きんね!!太郎!!」
 

*  *  *

 
 しょせん信さまはまだ子供なんですよ、と加畠の声がする。
 早苗さまはまだ監視のもとにおらっしゃるとです。
 あなたが拝霊会から離るうごつなるっちこつは、早苗さまも誰に何を話すか分からんようなるっちこつです。
 あん火事んときごたるこつが、また起きんち保障はできません。
 あんたは、そげにおいを利用したかかね。
 加畠は何も言わず、目を細めた。
 
 太郎のことなど、本当はどうでもいい。本家だって、ただ都合のいいように利用しているだけだ。
―――最初から、そう思わせなければならなかったのに。
 加畠の言うとおり、自分はその場の感情でしか動けない、どうしようもない子供だ。
(続)

 
 ※ナス科の植物 → ヒヨス、朝鮮朝顔など。せん妄、昏睡、幻覚などの作用あり。
 



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