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公立高校・受験の朝
まだ外が薄暗いうちに目が覚めた。
緊張なのかなんなのか、いろんな感情で神経が昂ぶっているようだ。
暗いなかで眼が慣れてくると、隣の布団に太郎が寝てるのが目に入った。
太郎は顔の下に参考書をひいて眠っている。あれでは顔に跡がついてるだろうな……
枕元においてある教科書をとって、うつぶせの状態で開いた。今さら悪あがきとは思うが、ただぼんやりしているのも落ち着かない。
気配に気がついたのか、寝返りをうった太郎がこちら向きになっている……と思っていたら、薄目をあけて信を見ているようだ。焦点が合っていない。
しばらく視線を合わせた状態でいたが 「…ん、今…何時ね?」 やはりかなり寝ぼけた状態で訊いてきた。
「6時半。」
「…ん。」 聞こえているのか分からない。
「もう少し、寝とけ。頭、働かんごつなるけん。」 言うと太郎は目を閉じる。
「……信。」
「寝ておけっち。」 教科書を見たまま言う。
「信…目が悪うなっとよ。電気ばつけんと。」
気になるのか。分かったけん、寝ろ、と言って自分も教科書を放して寝なおす。
「……信。」
「もう、なんね。」
「ん…。眠気、覚めたとよ。」 太郎が目をこすって言う。
「試験、がんばろうえ。一緒の学校、行くんやけん。」
「……。」
返事を、一瞬ためらった。寝返りをうつふりをして、太郎に背をむける。
太郎は、自分と一緒にいることに疑問を感じないのだろうか。
太郎は―――
「太郎は、ほんなこつ、それでよかね?」
「ん?」
高校まで同じところに行ってしまうと、太郎とまた何年も過ごすことになる……太郎のためを思うと、自分と一緒にいないほうがいいとさえ思う。
自分が高校に行かなければ、太郎はもっと楽しい生活を送るだろう。楽しいことだけ共有して笑い合っていける親友だってできるかもしれない。自分が試験をわざと失敗すればいいだけの話だ。背中を向けたまま言った。
「おいとおっても……ろくなこつなか。」
どん!
いきなり布団の上に太郎が乗ってきた。両手で信の頬をつねりにかかる。
「信、しつこかっ!」
「ちょっ、やめんか、こらっ」 怒ろうとしてるのに、顔が笑ってしまう。信に馬乗りになった太郎が、何度も頬をつねってくる。
「わかった、わかったっち。もう言わんけん。」
太郎が布団から降りると同時に、ふわりと気持も軽くなる。
信の布団の横で、太郎が正座をした状態でむくれている。
怒られているのに笑っている自分が馬鹿みたいだ。起き上がって、息をついた。「もう言わんけん。」
「信は――」 太郎がなにか文句を言おうとする。
「一生、言わんけん。」
口をついた言葉がやけに重みのあるものだったような気がした。太郎も信の目をじっと見て 「……うん。」 こくんとうなずく。
「あー。信がおかしなこつ言うけん、びっくりして目が覚めたばい。」 太郎は気がすんだのか、もそもそと自分の布団にもぐりこむ。
「いきなり飛び乗られて、こっちのほうが驚いたけん。」
やけに反応が早かったが、もしかしてこういう話がでると読んでいたんだろうか。こっちが悶々と考え込んでいたのを見抜かれていたか。
「太郎。」
「なんね?」
「おまえ、おいとおって楽しかね?」
冗談半分だ。しかし太郎がなぜ自分といたがるのかよく分からないとも思う。匡幸のようにしゃべるわけでもなし、そんなに面白みのある人間とも思えない。
太郎は天井を見つめて、しばらく黙る。
「んー。よーっと考えたら、そうでもなかね。」
「……。」
「……。」
「……あ?」
「嘘ばいー♪」
「……おまえなぁ。」
僕、もうちょっと寝るとよ。太郎は笑いを隠すように、顔まで布団を引き上げる。バカバカしい。そう思いつつも、口元がゆるんだ。
いつの間にか、空が明るくなっていた。空気は冷たいが、カーテンの隙間から入る朝の光は柔らかい。
―――そうか。もう、悩まなくてもいいのか。
太郎の布団から、安心したような小さな寝息が聞こえてくる。
教科書を取って、うつぶせの状態で開いた。今さら悪あがきだと思うが、ただぼんやりしているのももったいない。
そんな風に思うようになった自分が、なんだかおかしかった。
(終) |