神霊狩小説B


(50)  1月3×日 水天町・古森家@



 
 
 いつものように久間田に帰る用意をして階下へ降りようとした信は、聞きなれない声に階段の途中で足を止めた。少し前から来客の気配がしていたが、居間の方から途切れ途切れに女の怒鳴るような声が聞こえてくる。
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 「だけん、兄さんの考えようこつが理解できんち言うとよ! あげなもんば家に入れて……」
 とっさに、体がこわばった。“あげなもん” とは、信のことだ。太郎の父親が なだめるようになにか言い返しているが、それは聞き取れない。
「うちは、太郎ちゃんのこつが心配やけん言うとると。兄さんは、太郎ちゃんが可愛くなかね!? あいは、絶対に こん家に害ば、なしよるとよ。兄さんでん、あんだけ目ば かけてやった英夫に裏切られよって…」
「英夫は、事件に関係なかち、言いよろうがっ!!」
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 声は、信の存在そのものを否定し続ける。部屋に戻ったほうがいいのか、このまま玄関に向かうか…と、階下に目をやると、1階の廊下に太郎が立っていた。
 太郎はじっと廊下の奥を見つめたまま、女の声を聞いている ――― この話はいつから始まっていたのだろう。
 ふと、視線に気がついた太郎が、顔をあげた。階段の信を見上げて狼狽を隠せない顔をする。
 …なぜか分からないが、太郎に対して不快な感情が湧いた。
 階段を降りると 「ま、信……」 声をかけてきた太郎を無視して、古森家を出た。
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 大神の家は、昔から本家筋から忌み嫌われている。
太郎は今日のようなことを、親戚からよく言われているに違いない。それなのにいつも、なんのわだかまりもない顔で自分に笑いかけていたのか。
 それは信に心配かけないようにしていたのだろうし、自分のことを大切に思う相手にも太郎は文句は言えない ――― 太郎は、悪くない。
 分かっているが、頭から信用しきっていた人間に裏切られていたような、なにか言い表しようのない感情がどうしてもぬぐえなかった。
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*   *   *

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 自分は、あの家を出されるのだろうか。
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「本家の親父は、あん事件のこつば、ほんなこと知らんとやろか」
 母親に聞いた。ずっと触れないようにしてきた話だが、早苗は驚くような顔もしない。
「慧さんには、あん後 会うた時、口止めしたとやけどね」 あの時、早苗の手紙を読んだ慧は、太郎の父親に本当に何も話していないのだろうか。それほど顔を会わせる機会もないが、たまに見かけても そういう話は忘れたような顔をしている。
 まさか他人の手紙ば読むなんてねぇ。早苗の言葉には、かすかに慧に対するトゲのようなものが感じ取れる。
「まあ慧さんにしても、古森酒造は大切やろうけん。本家に危険の及ぶようなこつは言わんのやなかね。それに」
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―――気のせいだろうか。
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「慧さんも、長生きしたかでしょう」
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―――早苗の顔に、笑みが浮かんだ。
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 意外なものを見たような気がして、「…大神の、嫁たいね」 皮肉のような言葉が口をついた。母親にどういう顔で言ってしまったのか、自分では分からない。
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 『もと』 やけどね。息子から目をそらした早苗は、もう笑ってはいなかった。
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(続)



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