神霊狩小説B


(55) 2月×日 水天町中学



 
 
 放課後。授業が終わると、太郎はいつものようにB組に向かった。
 帰っていく生徒たちと入れ替えに教室に入って見渡すと、匡幸と道男は窓から外を眺めて話をしている。
 信もいつものように、一番後ろの席に座って……あれ。
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 信が、珍しく机に向かって黙々と何かを書いている。
 匡幸たちと目を合わせてから信の席に向かうと、二人も太郎についてきた。
「信、なんば書きよると?」
 太郎を見上げる信は、何故か不機嫌な顔だ。信が口を開こうとする前に、匡幸が背中から声をかけてくる。
「ほら、このあいだ俺たちが私立の受験に行った日、本当は英語の小テストがあったのに、信それ受けないで帰ったんだってさ。で、そのテストに出てきた単語を30回ずつ書いて先生のところ持って行かないと、帰れないんだよ。」
 だから待っててやれよ。信にも聞こえるように、太郎の肩越しに言う。
 ふーん。あの日、太郎も怒ったけれど…先生にまで怒られたのか。
 それにしても信がこうやって、人前でちゃんと課題をやるなんて。以前からは考えられない進歩が嬉しい。
「えんぴつ2本持って書けば、いっぺんに上下の段に2個書けるとよ」 道男がアドバイス (?) をしているが、うまく行かなかったのか 「こげなこつ、でくるか」 信が低い声で文句を言っている。
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 提出用の紙が英単語で埋めつくされていくのを、3人でじっと見つめる。信は気が散るだろうに、つとめて無視して書いているようだ。
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「そういえばさぁ。」 信の机に片手を付いていた匡幸が、用紙の名前を書かれた箇所をとんとんと叩いた。「俺、最初 『信』 って、“しん” て読むのかと思ってたんだよね。“しん” のほうが信っぽくない?」
 同意を求められても。物心ついた時から、信は “まこと” として太郎の親戚だったから――『ぽい』 と言われてたところでピンとこない。
 記憶をたぐってみると、匡幸と一緒にダムに行くまでは、学校で信のことを見ても “大神” と呼んでいたと思う。直接話したことなかったから、頭の中でだけど。
 なんとなく太郎のことを嫌ってると思ってたから、廃病院で “信は” と言ったとき、本当は返事をしてくれないんじゃないかと思ってた。普通に返事してくれた時は、くすぐったいような気分だったな。
 休まずに書き続ける真剣な顔を見てそんなことを考えていると、「さっきから、人の顔ば見てニヤニヤするのやめんね」 信が上目づかいで太郎をにらむ。
 ニヤニヤ、してたのか。ごめんと素直に謝ると、信は目をそらしてまた鉛筆を走らせる。なんで笑ってたのかは、訊かないんだ。
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「……僕は、信が “しん” よか “まこと” で良かったち思うとよ。」 匡幸に答えるつもりだったのに、信に向かって話していた。
「良かったち、なしてね?」 道男がこちらに顔を向ける。
「だって、“まこと” の方が、長い間、名前呼んでおられるけん。よか。」
 こつ。単語を書いていた手が、ぴくっと止まった。
「……。」 道男も口を開けたまま、太郎の顔をぽかんと見ている。
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 ? また何か、おかしなことを言ってしまったんだろうか。
「おまえ、そんなに信の名前呼んでいたいわけ」 匡幸が笑いをこらえている。
「い、家ん中で、どこにおるか分からん時に、何度も呼ぶけん」
「へえ。呼んだら出てくる?」
「出てくるとよ」
「ポチじゃん」
「だけん、信ばい」
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「―――匡幸ッ」 信が顔を下に向けたまま、しびれを切らしたような声で呼んだ。
「お、なんだよ」
「太郎ば、向こうに連れて行け」
「え? 僕、なしてー?」
 はいはい。匡幸が太郎の手をつかんで、道男と一緒に窓際まで引っぱって行く。
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「僕、なして怒られようと? どっちか言うと、匡幸の方が邪魔しとったとよねー」
 道男に同意を求めてるのに 「はは。あれ怒ってんじゃないよ。」 匡幸が答える。そして 「太郎は、偉いよ」 太郎にだけ聞こえる声で言った。
「勉強しよるとは、信やなか。」
「させてんの、太郎だろ。」
 信が自分からやっとるとよ。そう言ってみたけれど匡幸は、信はいいなぁと目を細くしただけだ。なにがいいんだろう。分からないけど、家でちょくちょく怒られてるのも、もしかしたら怒ってるんじゃないのかな。
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 帰り道、信に聞いてみたら 「…怒っとるに決まっとろうが」 ぷいと否定された。
 こつんと肘で突かれて横を見ると、匡幸はまた笑いをこらえてる顔だった。
 
(終)



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