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「妹ん話、聞こえとったとげなね。太郎が心配したったとよ」
並んで柵にもたれかかり、すっかり冷たくなったココアを口に運んでいると、思い出したように話しかけられた。
「妹は、昔っからあげな性格やけん、気にせんでよかよ。」
昔…信の父親にもそういう接し方だったということか。
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英くんは、バカばい―――自分の言葉で記憶が呼び起こされたのか、太郎の父親がぽつりとつぶやく。
「生きておったら、こげんやって信とドライブもできたとやに。死んでしもうたら、信ん話ば聞くこつも、頭なでてやるこつもできん。」
「……」
「英くんと、一緒に酒ば飲んで、互いの息子ん愚痴や自慢ば言い合いたかったとよ。2人とも自分の子になってしもうたけん、そいもできん。」
つぶやく横顔は、記憶の中の 『英夫』 を見るように遠い目をしている。
「バカばい。」
話しているのも辛そうに見えて、「そげん、バカバカ言わんでよか。」 口を挟んだ。
「我慢せんね。おいでん、こげな八つ当たり信にしかできんのやけん。」 太郎の父親は無理に笑顔を作って信のカップを取り上げると、車に戻るよう無言でうながす。「八つ当たりのでくる相手のおるちこつは、よかこつたいねぇ。いっつも正しかこつばっかし言うてみするとは、疲れるけん。」
「……父ちゃんでも、死にたかち思ったこつ、あったとね」
どげな人でん、一度は思うんやなかか。答えにならない言葉が返ってきた。
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「しばらく見んうちに、息子さん大きゅうなりましたなあ。」
カップを返しに行くと、コーヒー屋は顔見知りだったらしく、声をかけてきた。
あきらかに太郎と間違えているのだが、太郎の父親は 「なんの、まだまだ甘えん坊さんですばい。」 と信の頭をなでて見せる。「やめんね。」 ぶっきらぼうに言うと、「恥ずかしがり屋でなぁ」 信の髪をくしゃくしゃになるまでなぜて、コーヒー屋と2人で笑った。
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古森家に戻るころには、空が赤くなっていた。駐車場から玄関へとゆっくり歩いていると 「そうそう、加畠さんと、信んお母さんに話ばして、おいが信ん後見人ちゅうやつになるごつなったけん。」 あっさり言われたが、あの女が怒っていたのはそれじゃないんだろうか。
「だけん、信はちゃんと うちの子やし、ここは信ん家たい。」
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信ん家たい。頭の中で繰り返してから、玄関に入った。ただいま。父親の声に、廊下の奥から太郎の足音が走ってくる。
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―――この人は、もしかしたら事件の真相を、以前から知っていたのではないだろうか。
ふと、なんの根拠もない考えが浮かんできた。何もかも知っていて、太郎がそうであるように、自分を受け入れてくれているのではないか。
都合のいい想像だ。でもそれについてこの人と話しあうことは、一生ない。なら、そういう風に考えることぐらい、許されるのではないだろうか。
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もしかするとこの先、本当に誰かが真実を伝える日が来るかもしれない。
そして、それでも。この人は 「英夫はバカだ」 と言ってくれるような気がする。
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(続) |