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「いつまで、そげにしとるつもりね。」
自分に背を向けて机に向かう太郎に、声をかけた。
太郎は聞こえないふりをして、微動だにしない。
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夕方になって古森家に帰ると、玄関に太郎が飛び出してきた。
「ど、どこい行っとったとね?」
訊かれて 「あ?父ちゃんと…ドライブ。」 正直に答えたら、太郎の目が点になった。
太郎は信が学校にいなかったので、いったん家に帰ったものの、もう一度学校まで探しに行った後、拝霊会にまで行ったのだ、と太郎の母親が説明した。今朝のあの状態からこれは、さすがにまずかった。
「こっちん部屋、寒かろうもん。」 日が暮れて雪が降ってきたので、話している息も白くなる。
「僕なんか寒かろうが風邪ひこうが、信には関係なかろうもん。あっち行きない。僕も もう信んこつなんか、心配せんけん。」
言われ慣れない言葉に、ついカッとなった。「いいかげんにせんねっ」
太郎は一瞬ビクッとなったあと 「…信なんか、嫌いばい。 」 背中を向けたまま言った。
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人の機嫌なんかとったこともない性格なので、もうどうしていいか分からない。
突っ立ったまま太郎の背中を見つめて呆然としている自分が情けない。
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壁にもたれかかって、ため息をついた。
「父ちゃんと、話ばしてきたけん」 畳に視線を落として、さっきの話を自分の中で まとめるように口にしてみる。
「高校行くんが決まったら、高校の間はここに置いてもらうごつ、なったとよ。父ちゃんが、加畠に話ばつけてくれたとげな。修行も、卒業してから考えればよかろうっちゅうて。だけん。まあ、高校に受かったら、の話やけん…高校行かんとやったら、すぐ拝霊会に戻って修行ばする約束になっとるらしか。どっちでん、よく考えて、おいが選んでよかち、父ちゃんは言うけん……。」
顔を上げると、いつの間にか太郎がこちらを向いて座っている。
太郎は膝に置いた手をぎゅっと握って、信の次の言葉を待っている。
「だけん…あっちの部屋来て、勉強手伝いないや。一人やったら、根気のもたんけん。」
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部屋に入ると、太郎はすぐにストーブの前に座って手を温める。
「あー。信とケンカするとは、疲れるばい。」
あれは、ケンカと言うんだろうか。「今日、なんぞ話のあったんやなかか」 隣に座ると、太郎はストーブから目を離さずにつぶやくように言った。
「おばちゃんのこつ、謝りたかったとよ。」
「ああ。よか、気にしとらんばい。」
「ばってんが」
「あん人も、自分の兄ちゃんが大事やけん言いよるとやろ。もしおまえが父ちゃんと同じこつしたら、おいはもっとひどかこつば言うけん。」
「同じこつっち…おばちゃんは信んこつよう知らんけん、あげなこつ」
「もうよかっち。ぬしが知っとれば、そいでよか。」
こくん。うなずく太郎を見て、いや、それではこいつに嫌な思いをさせるだけかと考える。自分なら太郎になにも言わず、ひそかに “害をなすもの”を排除するかもしれない。
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―――ああ、母親にあんなことを言っておいて、この発想はしっかり 『大神の家の血』 のものだ。
燃えるストーブの芯が、やけに赤く見える。ぼんやりしていると、横にいた太郎が真剣な顔でこちらを見ている。
「?」 太郎のほうに、顔を向けた。
「あのくさ。さっきのは、本気やなかけんね。」
「なにが」
「信んこつ、キライち言うたつば。嘘やけんね。」
「………。」
こいつは、どうしてこう返事のしにくいことを、あっけなく口にできるんだろう。
「……あげなんと、誰も本気にしとらんばい。」
「えー。ちょびっとくらい困るかち思ったつにー。」
やっと安心したような顔を見せる太郎から、目をそらした。
自分は、どうしてこいつが笑うと ほっとするんだろう。
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その答えはさっき口にしてしまった感もあるが。太郎が勉強の準備を始めたから、今日はもう考えるのはやめにしよう。
父ちゃんの言うとおり、毎日笑ったり怒ったりできる相手のいる生活は、悪くないだろうから。
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(終) |