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とても長い夢を見ていた。
目が覚めると、まっ暗な部屋に一人でいた。
大神拝霊会の、自分の部屋だ。
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なんだかふわふわした夢を見ていた気がする。
心の欠けた部分を、誰かがずっと撫でてくるようで、温かくてくすぐったい…
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ひどくだるくて、体が動かない。暗さで、周りの様子も分からない。わけの分からない不安感が襲ってきて、心臓の鼓動が早くなってくる。息を吸うのも怖い。
「……たろー…」 喉の奥から、かすれた声がでた。
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こと。遠くで音がする。とすとすとす…かちゃ。
廊下のドアが開いて、柔らかな光が入ってきた。
「まこと? 目、覚めたと?」
部屋に入ってきた太郎が、少し考えてから、机の上のライトを壁に向けて付ける。
「まばいくなか? ちょっと部屋、暑かっかな。」
信の返事を待たずに、窓を少しあける。冷たい風が入ってきて、呼吸が楽になった。
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インフルエンザで、寝ていたんだった。
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* * * .
「ねずみ。」
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太郎が、寝ている信の胸の上に、丸めたハンカチを乗せてくる。
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次に目を覚ましたのは、昼だった。
目を開けると足元に、畳に置いた小さなテーブルで勉強している太郎がいた。信が黙って見ているのに気がつくと、枕元にやってきて、黙って座った。
しばらく信の顔をのぞきこんでから、おもむろにハンカチを取り出して、何かの形に丸めては信の上に乗せてくる。
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「んーと。あとは…」 ハンカチの中心を持ち上げて、それに添って残りの部分を折っていく。今度はそれを、信の顔の前に差し出した。
「バナナ。」
…こいつは、これが楽しいんだろうか。
「皮も、むけるとです。」
ああ。自分に見せるためにやってるのか…えらく真剣に 『バナナ』 をむいて見せるので、ふっと笑いがでた。「なんね、それ。」
反応があったことに安心したようすで、太郎が洗面器を持ってくる。
「だいぶん熱もさがったけんね。体、拭こうえ。」
信の背中に手を添えて、布団の上に起き上がらせる。
洗面器に水と、ストーブのヤカンのお湯が入れられていくのを、ぼんやり眺めた。
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ぱたぱた。絞ったタオルを広げて、太郎がパジャマの袖をまくってくる。
「自分で、できるけん。」
「えー?お母さんには、おかゆ食べさせてもろうとったやなかね。」
「…覚えとらんばい。」
「お母さんにばっかし甘えて、ずるかー。」
『ずるかー』 …病み上がりに、力が抜ける。「いや…おまえら、おいに構いすぎばい。」
太郎は洗面器に目線を落としてから、思いついたように 「あっ。もしかして、ウザか?」 ごめん、と謝って、タオルを渡してくる。
どうしてそう一足飛びなんだ。「誰も、そげなんとば、言っとらん。」 伸ばしかけた手を止めると、太郎は首をかしげてまた考える。
そして考えた表情のまま、おもむろに袖を巻いてくる。「病人は、大人しくお世話されるとが 『しきたり』 ばい。」
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「…昨日」
「んー?」
「昨日、夢ば見た。」
「…?」
「今、ここにおるんが夢で、本当は、もとの拝霊会の部屋におるっち…そげな夢やった。」
太郎は腕を拭く手を止めて、じっと信の顔を見る。
「うれしかったと?」
「は?」
「もとの家におるっち思った時。」
なにを言おうとしているか、よく分からない。
「…べつに。どっちか言うと――怖かったか。」
われながら、らしくない言葉が出た。「そっか。」 太郎は目をそらして、洗面器にお湯を足す。
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「ん。手、出しない。」
太郎が手の平をタオルで包みこんでくる。温かくて、くすぐったい。
…おまえも、夢にでてきたな。口の中でつぶやいた。
「そげんねー。うれしかったと?」
「……。」 さらに 『らしくないこと』 を言ってしてしまいそうになって、口を閉じた。
太郎も返事を待たずに、目を細くする。
どうせ言わなくても、答えは分かってるんだろう。
(終) |