神霊狩小説B


(58) 2月1×日 水天町



 
 
 夕食後。居間のソファに座って一人でテレビを見ていると、太郎の父親がやってきた。 「お、ジャズね♪」
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 今のジャズもよかばってん、昔もよか曲のようけあったとよ。隣に座って、番組の解説をしてくる。
 画面では昔のバンドが “茶色の小瓶” という曲を演奏している。
「よく、分からんばい。おいは一人で適当に弾きよるだけやけん。」
「まぁジャズにもいろいろあるけんね。ばってん一人っちゅうても、最初は誰かに教えてもらったとやろ?」
「ババアの知り合いとかに、しばらくだけ。」
「そげんね。そいで、よくあすこまで弾けるごつなれたとね。よっぽど練習したとやね。」
 ほめられて間が持たず、「…学校、行っとらんやったけん。」 つい逆らうようなことを言ってしまった。
「……。」 わさわさわさ。太郎の父親が、また黙って頭をなでてくる。なんでだ。
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「あ、仲良うしとる。」
 たまたま居間に入ってきた太郎が、声をかけながら近づいてきて 「ん。」 ソファーの後ろから、信の頭に こつんと顎を乗せてきた。太郎の父親が目を細めて、太郎の頭もなでてやる。
「信、お風呂どうすっと?」
「テレビ観とるけん、後でよか。」
「んなら僕、先に入ろ」
「…人の頭に顔ば乗せたまま、しゃべりなんな」
「……。」
「……。」
「あぅあぅあぅー。」 (←顎つけたまま)
「やめいッ」
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 太郎が笑いながら部屋を出て行くのを、父親が嬉しそうに見送る。
「太郎は、信によう じゃれよるとね。」
「…あいは、誰にでん愛想がよかたい。」
「学校の友達にも、あげんやって甘えようとね?」
「いや…。それは、なかが……。」
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 なぜかこっちが気恥ずかしくなってくる。
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  *  *  *

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 雪まじりの風が、窓を叩く音のせいだろうか。
 真夜中。何かの気配で目を開いた瞬間、視界の隅に白い人影が見えてぎょっとした。
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 ……太郎?
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 隣の布団で、太郎が放心したように座ってぼんやりしている。
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 信が体を動かすと、気がついてこちらに顔を向けた。
「寝んとね?」
「…うん。」 要領の得ない返事だ。また顔をそむけて、自分の足元を見る。「…怖か夢、見たと。」 ひどく疲れたような顔でずっと一点を見つめている。
「前は、よく見とった夢、ばってん……最近は、あんまし見んごつなっとったやつばい。」 太郎は膝を抱えるように体を小さくする。「忘れたらでけんち、言いよるとやろか。」
 『誰が』 とも 『何を』 とも言わない。
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 ひゅうひゅうと風の音だけが聞こえてくる。なんの言葉も思い浮かばず、ただ太郎が早く布団に入るといいと待っていたが、太郎はうつむいて白い息を吐くだけだ。
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「寒く、なかか」 声をかけると、われに返ったように顔をあげた。
「え…うん。寒か。信、寒かね?」
「雪、降りよるけんね」
 そか。太郎はようやく もそもそと動きだすと、自分の布団を抱えて こちらに重ねて掛けてくる。
「こいで、寒くなかね?」
「いや…。こっちは寒くなかばってん、ぬしはどげんすっとね。」
「そっち、詰めやい」 無理やり信を横向きに倒すと、布団にもぐり込んでくる。
「ちょっ…狭かっ」
「うん、温(ぬ)っか。」 信の背中にくっついて、布団を顔まで引き上げる。
「おまえ、体冷たいやなかっ」
「すぐ温くくなるけん。ちょびっと狭かぐらいで、文句ば言わんとよ。寒いよかマシばい。」
「マシかー?」
「それ以上せからしかこつば言うたら、抱きつくとよ。」
 ……本気でやってきそうなので、口をつむぐと 「そげん嫌がらんだっちゃ、よかろうもん」 小さな笑いを含んだ声は、いつもの太郎に戻っていた。
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―――怖か夢。
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 暗い部屋で一人、夢を見て目覚め、ぼんやりと座る太郎を想像した。
 自分がここに来る前は、そうだったんだろう。目の前で死んでいく姉の姿を、夢の中で見続ける。夢から覚めても思い返す。何度も。何度も。
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 忘れとるわけや、なかやろうが。眠ったかもしれない太郎に言うともなく口にしてみる。
 うん。小さな返事が返ってきた。
「…さっき、父ちゃんが言うとったばい。身内ば失うっちゅうんは、体の一部がのうなるのと同じやち。」
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―――腕や足を失くした人は、何年も経つと、足やらなくなったままで暮らしていくのに慣れていくとげな。ばってんが、足は死ぬまで戻ってこんと。慣れるんと、おらんでもよかごつなるち言うんとは、別のこったい。
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 テレビを見ながら、そんな話をした。
 何故か、ひどく拒絶されたような気分になった。自分なんかがいても、瑞香がいない空虚さは満たされることがない。そう言われたようだった。
「なして そげな話ばしたとね?」
「ん? おいが、ババアをババアっち言うとがいかんっちゅうて。最初スルーしたとが、後で珍しく説教されたとばい。」
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 しばらく返事がなかったので、眠ったのかと思ったころ 「大神ばあちゃんは、一人きりやけんね。」 と声が返ってきた。えらく考え込んでいたようだ。
「お父さんでん、代わりにはなれんのやけん。」
 重ねて言われて、父ちゃんが言おうとした意味が分かった。自分の被害妄想的な発想に、思わずため息がでた。
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「元の足やのうても、代わりの足か…杖になって支えるぐらいに、なれればよかね。」
 太郎は、また 『誰が』 とも 『何を』 とも言わない。
「まあ。とりあえずは温(ぬく)いけん、そいでよか。」 言うと、太郎も よかねとつぶやく。
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 太郎が暗い部屋で、ひとりで泣かずに済んだだけで、よか。
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 こっちは、口に出さずにおいた
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(終)



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