神霊狩小説


P 10月1×日 水天町・古森家

 
 
 日曜の夕方、信は古森家に帰った。
 
 玄関を開けた途端、太郎が匡幸にじゃれつかれて文句を言っている声が聞こえた。
「あ、信、おかえり」 道男が声をかける。
「掃除、今までかかっとったとか。もっと早う戻ればよかったな」
「いやもう帰るところばってん、匡幸が太郎ばからかって遊んどるとよ」 太郎の髪がクシャクシャになっていた。
 
 
「匡幸、本当におらんごつなるとかね」 縁側に座って、太郎がぽつ、と言った。
「毎日学校で会うとるとに、なにを今からじめじめしとっとか」 答えながら、匡幸だったらもっと気の利いた言葉を言えるのだろうに、と考える。
 匡幸が転校してきていなかったら、今こうして太郎と夕陽を見ていることもなかっただろう。
 
 太郎は、もし自分がいなくなっても寂しいと思うだろうか。
 
 横顔をじっと見られてるのに気がついて、太郎が 「なん?」 と訊いた。
「いや…太郎の母ちゃん、最初の頃よかずっと元気になったとね」
「? そうたいね」 不思議そうに答える。「どげんしたと信?」
 べつになんでもなか、と言おうとした時 「久間田に帰ると?」 訊かれた。
「信のお母さんがそう言ったとね?」 矢つぎばやに言ってくる。
「いや、そげんこつなかが…」
「じゃあ、なしてそげんこつ言うとね。信、最近おかしかよ」
 なんとかごまかそうと思うほど言葉が出ない。
「いや…太郎があんまり匡幸んこつ言うけん、おいがおらんごつなっても寂しか思うか、ちょっと思っただけったい」
 ついさっき考えたことを言ってしまった。
 太郎がぽかんとした顔をした。……しまった。思わず目をそらしてしまう。
 ふいに太郎が手を伸ばしてきた。信の目を見て、ぎゅ、と頬をつねる。
「なっ…」
「信、性格暗かよ」 冗談で言っているのかと思ったら、意外にも太郎の顔は少し怒っているように見えた。
 このあいだ信が怒った時つねられたけん、お返したい、と言って手を離した。
 
 
「匡幸は友達やけん、おらんごつなったら信も寂しか思うとね」
「……」
「信だって僕の友達やし…家族でもあるとよ。おらんごとなったら困ると。お母さんが困らんでも、僕が困ると。」
 さすがに少し恥ずかしいのか、ぶらぶらさせている足の先を見ながら言った。
「……そげんね」
 今までいろんな感情が湧いていたのに、急に心が静かになった。
 
 もう、じゅうぶんだ。
 
 陽が落ちて、空の半分が茄子色に変わっている。
 薄い色の月がでて、うつし世とは思えないほど美しい風景に見えた。
 
「信――?」 何か言おうとした太郎に
「明日、拝霊会に行ってくるばい」 とだけ言って部屋に戻った。
 
 
 酒造組合が訴訟の撤回を発表したのは、それから4日後のことである。
 



inserted by FC2 system