神霊狩小説


O 10月1×日週末 水天町・久間田

 
 
 10月になると酒蔵が動き出す。
 
「匡幸、ゴム長似合わんとねー」 太郎が笑う。
 金曜日、匡幸が 「太郎、明日うちに来るだろ?」 と訊いてきたのに
「あ、明日とあさって、蔵とかの掃除するとよ。ごめん」 と断ったところ、道男と一緒に手伝いに来てくれた。
「ばってん、よかったと? せっかくの週末にこげな手伝い来て」
「ああ、東京に戻ったら、酒蔵体験なんてできないしね〜」 匡幸がニヤリと笑ってみせる。
「そげな話…」
 東京に帰る話はしないようにしよう、というのは2人の間の約束事になっている。匡幸は分かっていて太郎の反応を見て笑うので、たまに憎らしくなる。
「お父っつぁん、それは言わない約束でしょ」 道男がからかった。
「東京なんて言っても外国じゃあるまいし、会おうと思えばいつでもなんとでもなるさ。大げさなんだよ、太郎は」
「…そう、たいね」
 戻ってしまえば、そうそう来られる距離ではないのは、お互い分かっているけれど。
 この仲間と過ごせるのももう半年足らずなのか、と思うと、無駄話をしながら酒蔵の掃除をしているのも大切な時間に思えた。
 
 
 その頃、信は加畠の前にいた。
 蔵の手伝いに残ろうかと思ったが、今日はどうしても確かめておかなければいけないことがある。信者によってうやうやしく出されるお茶を見て、加畠が信のことをどう説明しているのか理解できた。
 いま水天町におきていることが確認できた…大日本バイオ側の人間が、酒蔵に腐造をだすよう拝霊会に頼んでいるのだ。
 なんとかできないのか、と言う信に加畠が 「そいは、どういう立場での質問ですか」 と訊く。
「どう、ち…」
「酒蔵の親戚の一人としてなのか、大神拝霊会の次期代表としてなのか、です」
 
 
 家に戻ってからずっと黙り込んでいる信に 「本家ん皆さん、元気でおらっしゃる?」 早苗が訊いてきた。
「ああ、うん…?」
「なんね?」
「今まで本家のこつ、訊いたことなかったやろ」 本家の話は聞きたくないのかと思っていたので、突然の質問に驚いた。信がどう暮らしているのかさえ、訊かれたことがなかったのに。
「そうやったかね。訊かんでも分かったけん」 静かに言った。あんたがどんだけ本家で大事にしていただいとるかこつ、見たら分かるとよ。
 そして 「本家で過ごしてなかったら、私ともこうして普通に話せるごつなってなかったとかもしれんね」 と微笑んだ。
 
「信」 しばらく黙っていたが、早苗が口を開いた。
「大切なことに悩んだときは、どっちを選んでも後悔するもんよ」
 母はどこまで知っているのだろう。
「私はあの誘拐事件のときに自分がやったこつ、一生後悔するとよ。後悔なんかしてもどうにもならんこつ分かっとるばってん、どうしようもなかけん。」 自分の命でつぐなえるなら、どれだけ楽だろう、と搾り出すように言った。
「ばってん、あんたのほうが死んどったらよかったとは、一度も思ったことはなか。」
 つらそうにしている早苗に何か言わなければ、と思うが言葉が出てこない。
 自分が選んだことやけん、その責任も罪も、負っていけるとよ。と繰り返して言う。自分にとってなにが大切でどうしたいのか、自分で決めんとね。
 一年前には思いもしなかったことだ。いつの間にか、今の信には大切なものがいくつもできていた。
 



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