神霊狩小説


E 9月1×日週末 水天町

 
 
 夕方。久間田から帰ると、台所で太郎の母が「太郎は中嶋君ち行っとるとよ。まだ帰らんとね」と言った。
 匡幸のところか…自分のいない時に太郎がどこでなにをしようと自由だが、どうもまだ太郎が不在の時に、自分だけこの家にいるのは落ち着かない。
 なにか手伝ったほうがいいのだろうか。太郎がいないと何をすればいいのかすら分からない。
 
「あんね、信」
 太郎の母が背中を向けたまま言う。
 この人と2人きりになるのも初めてだ。
 太郎の『信も、信も』と言うのを真似してからかっているうちに、自然を呼び捨てにするようになっている。
 
「いつもありがとうね、太郎んこつ」
「……?」
「信と仲良うなってから、あん子、ほんとに変わったんよ。よく笑うし。家でも毎日楽しくてしょうがないみたいとね」
 なんだかピンとこない。どう答えていいか分からず黙っていると、太郎の母がゆっくり振り向いた。
 目があった瞬間、「おいは、でも、無愛想やけん…そんな、太郎が喜んどるようなこつ思えんたい」と口から出た。
「なんね、信も毎日笑っとるとよ」太郎の母は、いたずらっ子のように笑った。
 
 
 思いがけない言葉に、顔に血があがってくる気がした。
「太郎ね、兄弟が欲しかったとよね。だけん、弟ができたみたいこつ思ってはしゃいどるとよ。お兄ちゃんのつもりかね」
「弟っち…」ちょっと絶句する。
「小ちゃいお兄ちゃんとねフフフ」
 この人も最初はかなり暗い印象を受けたが、しばらく生活するうちに世話好きでよく笑う、サバサバした性格だと分かった。
 あの事件さえなければ、もともとこういう人だったのだろう。
 申し訳なくて謝りたい気持ちになったが、真相は一生口にしてはいけないのだ。
 
 
 
「ただいまー。信、帰っとるとー?」
 太郎の声が聞こえた。
「あん子、あんたが久間田から戻ってこんこつなるやなかか、心配しとったとよ」 
 内緒ね、という風に人差し指を口にあててまた笑った。
 


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